持統天皇は中国皇帝に倣って日本を統治しようとし、天皇家の儀礼に四神を取り入れた。 即位礼や元日の朝賀には四神旗が使われ、大嘗祭には四神旗をたてて、威儀をととのえた。
天武天皇の発願で造営された奈良の薬師寺。天武持統年代の造立といわれる薬師如来像は、天皇の理想像でした。台座には南インドの十二神像やペルシャの香りを伝える葡萄唐草模様が刻まれ、奈良時代の国際性を暗示するかのようです。さらにそこには見事な四神が浮き彫りされていました。この台座は四神がそろって描かれた、唯一の仏教美術。インドの仏教、西域の風俗、中国の四神。遥かな大陸文化が日本でひとつになったのです。
天武天皇は自らを薬師如来になぞらえ、天皇にしたがって東西南北を四神が鎮護する思想を表したのではないでしょうか。 |
 |
 |
(画面・奈良 薬師寺 薬師如来像 同台座) |
|
神奈川県箱根神社には、松戸神社と同じ四神像がある。なぜ箱根神社に四神像があるのか。いったいどのように使われていたのだろうか。
|
 |
 |
(画面・箱根神社) |
|
『いまですね、年間たくさんのお祭が再興されているわけでございますが、今まで私がご奉仕して、その四神というものが使われたことは一度もございませんですし、うちの方の神職もたくさんおりますが、四神旗を使ったという事は聞いておりません』 |
(画面・箱根神社主典 柘植英満氏) |
|
四神像はいつの時代にか、神宝としてしまわれ、人知れず埋もれ、まったく省みられなくなった。 そして今ではその使い道を知るものはいない。
一方松戸の町衆は、四神像を使った祭を再興しようとしていました。 |
(画面・松戸神社) |
|
『ずっと途絶えていたままになっていたのでございますが、それを再興しようじゃないかというような機運が盛り上がりまして、正確な年代はわからないのでございますが、ちゃんとした形で行なわれたのは、おそらく六十年以上前だという事でございます』 |
 |
 |
(画面・松戸神社宮司 常盤映彦氏) |
|
夏の初め、日光市の宮大工の手で、松戸神社で発見された四神像の修復が始まりました。 泥絵の具で彩色され、華やかな江戸の祭りを引き締めた、りりしい姿を取り戻していきます。 人々は四神とどうかかわってきたのか。なぜ帝の象徴から江戸の祭りに使われるようになったのか。 六十年の眠りから醒めようとしている四神像は、松戸の町衆の心に新鮮な驚きと、多くの発見とをもたらさずにはおきませんでした。
|
 |
 |
(画面・日光における修復の様子) |
|
四神は古来瑞兆とされ、朱雀は同じく吉兆を示す動物として次第に鳳凰と混同されていきます。
|
(画面・奈良 南法華寺 鳳凰紋博) |