東京テレビ 極めるⅡ  四神伝説』 脚本
監    修
ナレーション
杉山二郎  (12ch 東京テレビ 平成2年11月24日放映)
奈良岡朋子 安田正利





 華やかでおめでたい、はずんだ気分をかもしだす動物達、鳳凰、亀、龍、虎。
それは古来中国で天空の星座から生まれ、四神と呼ばれた神々でした。
日本に伝来した四神はやがて庶民の暮らしに深くかかわっていったのです。 




平成二年十月十四日、千葉県松戸で江戸中期に始まる古式神輿祭が再興されました。ながい間途絶えていた江戸の祭、その伝統のすがたが忠実に再現されています。 

千葉県北部の江戸川沿いに位置する松戸市、松戸は水戸街道の宿場町で、松戸神社は江戸時代水戸家の帰依を受けていました。松戸の町衆が古式にのっとった神輿祭を再興したきっかけ、それはここ松戸神社の神輿倉にながい間しまわれていた謎めいた像の発見。その像とは四体の奇妙な動物。
江戸後期のものといわれ、かつての祭りでは旗を付けてねり歩き、四神旗と言われました。

この四体の生き物は四神と呼ばれ、神秘的な伝説に彩られていました。
四神とはそもそもなんなのでしょう。
そして四神と日本人はどのようなかかわり合を持っているのでしょうか

 
 



八世紀初頭の貴人の墓と言われる高松塚古墳
死者の魂がこもる石室。
その壁に東西南北の四方を鎮護する神として、日本最古の四神が描かれていた。

北の壁に蛇と亀が合体した玄武。
西には白虎。
東の青龍。
盗掘された南側には朱雀が描かれていたと思われる。七世紀の朝鮮の古墳には、四神がそろって描かれている。
高松塚古墳と朝鮮との深いつながりがうかがえる。















 (画面・高松塚古墳

高松塚古墳の天井に金箔と朱染で描かれた星座は、北極星を中心とした古代中国の占星術。四神は紀元前三、四世紀頃の古代中国の宇宙観から生まれました。

 
 (画面・高松塚古墳星宿図

古代の中国人が、北極星の四方にきらめく星座を動物に見立て、宇宙を鎮護する神としたのです。それが四神でした。
高松塚古墳のある明日香の地に残された亀石は四神のひとつ、玄武だったのかも知れません。 

  (画面・奈良 明日香 亀石

四神が描かれた中国唐代の鏡。
中国では四神が皇帝の理念としてもてはやされ、中央の北極星を皇帝に見立て、四神が四方を治めるとされた。
(画面・方格四神紋鏡

玄武(北)

都造りにも四神が影響されていた。東に流水あるを青龍。西に大道あるを白虎。南に窪地あるを朱雀。北に丘陵あるを玄武。唐の都長安は、四神相応の地であり、玄武門、朱雀門もあった。 
藤原京。
この日本初の中国風の都にも、四神相応の考え方が反映している。
天子は北に住むため、都に入る門は南に設けられ、朱雀門となずけられていた。また平安京は完全な四神相応の地といわれている。

持統天皇は中国皇帝に倣って日本を統治しようとし、天皇家の儀礼に四神を取り入れた。
即位礼や元日の朝賀には四神旗が使われ、大嘗祭には四神旗をたてて、威儀をととのえた。

天武天皇の発願で造営された奈良の薬師寺。天武持統年代の造立といわれる薬師如来像は、天皇の理想像でした。台座には南インドの十二神像やペルシャの香りを伝える葡萄唐草模様が刻まれ、奈良時代の国際性を暗示するかのようです。さらにそこには見事な四神が浮き彫りされていました。この台座は四神がそろって描かれた、唯一の仏教美術。インドの仏教、西域の風俗、中国の四神。遥かな大陸文化が日本でひとつになったのです。

天武天皇は自らを薬師如来になぞらえ、天皇にしたがって東西南北を四神が鎮護する思想を表したのではないでしょうか。
(画面・奈良 薬師寺 薬師如来像 同台座)

神奈川県箱根神社には、松戸神社と同じ四神像がある。なぜ箱根神社に四神像があるのか。いったいどのように使われていたのだろうか。

(画面・箱根神社

『いまですね、年間たくさんのお祭が再興されているわけでございますが、今まで私がご奉仕して、その四神というものが使われたことは一度もございませんですし、うちの方の神職もたくさんおりますが、四神旗を使ったという事は聞いておりません』
 (画面・箱根神社主典 柘植英満氏

四神像はいつの時代にか、神宝としてしまわれ、人知れず埋もれ、まったく省みられなくなった。
そして今ではその使い道を知るものはいない。

一方松戸の町衆は、四神像を使った祭を再興しようとしていました。
(画面・松戸神社

『ずっと途絶えていたままになっていたのでございますが、それを再興しようじゃないかというような機運が盛り上がりまして、正確な年代はわからないのでございますが、ちゃんとした形で行なわれたのは、おそらく六十年以上前だという事でございます』
(画面・松戸神社宮司 常盤映彦氏

夏の初め、日光市の宮大工の手で、松戸神社で発見された四神像の修復が始まりました。
泥絵の具で彩色され、華やかな江戸の祭りを引き締めた、りりしい姿を取り戻していきます。
人々は四神とどうかかわってきたのか。なぜ帝の象徴から江戸の祭りに使われるようになったのか。
六十年の眠りから醒めようとしている四神像は、松戸の町衆の心に新鮮な驚きと、多くの発見とをもたらさずにはおきませんでした。

(画面・日光における修復の様子


四神は古来瑞兆とされ、朱雀は同じく吉兆を示す動物として次第に鳳凰と混同されていきます。

 (画面・奈良 南法華寺 鳳凰紋博

この白鳳時代の鳳凰門の線はかつて朱雀だったと考えられています。平等院の鳳凰。朱雀は鳳凰となって仏の極楽浄土に羽を休めます。 

朱雀(南)
(画面・平等院

     

その鳳凰がさらに鶴に変わります。
遠方から飛んで来ることが吉兆とされる鶴は、鳳凰にとってかわり、常盤木ゆえにおめでたいものとなった松が加わって、松喰鶴の組み合わせとなりました。
     
(画面・松喰鶴鏡

不老不死の象徴である蓬莱山と鶴を組み合わせた鎌倉時代の蓬莱鏡。

 (画面・蓬莱鏡

室町時代になると亀が現われ鶴亀となり、朱雀と玄武がすがたを変えて出会います。竹も加わり、さらに江戸時代には春に先駆けて咲く梅も出そろって、松竹梅、鶴亀となりました。常盤木である橘、松、竹が繁り、鶴がはばたき亀が歩く。桃山時代の蒔絵です。

     
(画面・京都 北野天満宮 橘文蒔絵文台

四神に端を発するおめでたい取り合わせは、いたるところで好んで描かれ、日本独特の文様となっていったのです。江戸時代には小袖にもさかんに使われ、江戸の娘達を彩りました。

     
 (画面・紅綸子雪持笹文様小袖

いっぽう青龍は霊力を持つ動物として受け入れられ、様々な姿に描かれていく。 
鎌倉時代後期に作られた、長谷寺の難陀龍王像。  

 (画面・鎌倉 長谷寺 難陀龍王像



 青龍(東)

水の守護神で、頭上にいただく龍には水を操る力が秘められている。
龍は水を呼ぶと信じられ、火災を防ぐ守り神として、多くの寺や神社などに描かれた。




 (画面・京都 泉湧寺 龍図




白虎は、虎が日本に生息しなかったため明との交流が盛んになった室町時代にも多く見られるようになった。
桃山時代後期の竹虎図。虎がかむ竹竿が大きくしなって、豪放さに溢れている。

(画面・京都 曼殊院 竹虎図

柿右衛門も竹林に遊ぶ虎を描いた。

 (画面・竹虎図輪花皿

江戸中期の画家、長澤蘆雪が描いた龍虎図
(画面・和歌山 無量寺

東の青龍、西の白虎は竜虎相討つといわれ、たがいに雌雄を決する名勝負のたとえに使われてきた。
相撲の力士が東西に別れて戦うのは青龍と白虎の対決からきている
そして土俵の上の青房、白房、赤房、黒房は青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を示している。

 白虎(西)
(画面・千代の富士と旭富士

おめでたい鶴亀となった朱雀と玄武は、今では庶民の暮らしにすっかり溶け込んでいます。例えばお酉様の熊手は、鶴亀で飾ります。

(画面・酉の市


結納の水引き。祝い事には鶴亀です。

七五三の千歳飴にも鶴と亀。
花札にも松と鶴。
四神は身近なところに今でも生きていました。

(画面・水引・千歳飴袋・花札
 


平成二年九月、修理を終えた四神像が松戸神社に戻ってきた。
いよいよ四神像が復活する晴れの日が近づく。
伝統の江戸の祭りを忠実に再現すべく、古式神輿祭復興にむけて、入念な打ち合わせが続いた。                       (画面・松戸神社社務所 打ち合わせの様子

 


江戸の祭。そこではなぜ四神像に旗を付けて練り歩いたのだろうか
戦国時代、四神はすでに本来の意味を失い、単におめでたいものとして鶴亀などに変わってしまっていた。しかし天皇家では、古代からの伝統がなお受け継がれ、大嘗祭をはじめ、天皇家の儀礼に四神旗が使われ、天皇家の象徴となっていた。

徳川家康は、江戸を京、大阪を凌ぐ都市にしようと目論んでいた
そこで家康は天皇家の象徴である四神の像を使って、江戸の祭りの権威づけを狙った。
家康は江戸を新しい文化の中心地に育てるため、四神を利用し、大嘗祭の庶民版ともいえる祭りを演出したのである。

しかし明治維新以後、天皇が東京に移ると、江戸の四神も姿を消してしまった。
徳川の世が終り、四神像は天皇家への遠慮から人の目をはばかり、箱根神社のように御神宝として隠され、大衆の前から消えてしまったらしい。

水戸家の影響下にあった松戸では、それでもなお四神像が使われていたが、60年前の戦乱の中で、途絶えてしまったのである。


徳川昭武公(徳川十五代将軍慶喜公弟)私邸 戸定邸(松戸)
写真:松戸市






明治が終り、大正が過ぎ去り、昭和が幕を閉じました。時が流れ、今ここに大嘗祭の民衆版だった、江戸の祭りが蘇ろうとしています。


かつて江戸庶民と共に、祭りの熱気の中に踊った四神像。
幾千年の時を経て、庶民の暮らしに溶け込んだ四神に、松戸町衆の情熱が意気を吹き込みました。
六十年ぶりの興奮。
四神と一体になって街中が沸き立ちます。

永い眠りからさめた四神。それは町と共にある、町と共に生きる庶民のたくましさによってこそ、何よりも美しく躍動するのではないでしょうか。


(12ch 東京テレビ 平成2年11月24日放映)

ナレーション 奈良岡朋子
企  画 緒方陽一
安田正利 グレートデン
テーマ音楽 柴田敬一 編集工学研究所

協   力 松戸神社 監  修 杉山二郎
箱根神社 松岡正剛
江東天租神社 衛藤  駿
飛鳥保存財団
明日香資料館 プロデューサー
黒川古文化研究所 曾根市郎 グレートデン
友禅美術館 永尾和樹 テレビ東京
小西美術 構  成 朝永振一
北野天満宮 技  術 インフ
南法華寺 撮  影 村上和夫
柿右衛門窯 音  声 元安芳文
薬師寺 撮影助手 高田裕二
平等院 編  集 東洋レコーディング
曼殊院 EED 松岡孝子
長谷寺 MA 高橋清二
無量寺 音  効 片野正美
資料提供 日本相撲協会映画部 演出補 奥村  竜
演  出 林  照敏

製作 テレビ東京
グレートデン
記 稲葉八朗