戦後80年にあたる、今年令和七年、関東防空そして日本の為に命をかけて戦った震天制空隊を称え、顕彰する石碑を松戸神社境内に新設いたしました。

<震天制空隊顕彰碑文>

 大東亜戦争末期の昭和19年11月、 大日本帝国陸軍は関東地区防空のため戦闘機で米軍大型爆撃機B29に体当たり攻撃して撃墜する、空対空特攻隊を編成し「震天制空隊」と命名した。 

 当時、高度1万メートルを飛行できる戦闘機が日本にはなかった。そこで、B29に体当たりするため、航空機関砲・防弾鋼板・無線機を撤去し軽量化した「無抵抗機」と呼ばれる機体が用いられた。 

 この作戦は艦船への特攻とは違い、体当たり後パラシュート降下等による生還を期する攻撃であり、熟練操縦者が選ばれた。搭乗員は卓抜した技量と勇気で、B29を多数撃墜という多くの戦果をあげ、中には体当たり攻撃を二度行い二度とも生還した搭乗員が複数いたほどである。そのうちの一人である板垣政雄軍曹は、昭和19年12月3日に印旛沼上空でB29への体当たり攻撃に成功した後、昭和20年1月27日に二度目の体当たり攻撃を、松戸上空で敢行撃破して市川付近に落下傘降下し再び生還した。なお、写真左から二人目の中野軍曹も、二度の体当たりに成功し生還した。 

 今年令和7年は、戦後80年の節目に当たる年である。ここに関東防空そして日本のために、命をかけて勇敢に戦った震天制空隊を称え顕彰するものである。

令和7年4月 震天制空隊を顕彰する会

震天制空隊隊員と三式戦闘機「飛燕」(一番右が板垣軍曹)